福ちゅく2nd

瀬上チュックボールクラブの活動記録(非公式)・イベント・技術指南・過去語りなどなど、チュックボールに関する話題を好きなように書いていくブログです。

過去編3 高校最後の闘い -忘れられないベストバウト-

ちょっと間が空いたけど過去編です。

今回はあまり前置きしないですぐ本編にいきます。

 

 

【真・瀬上ニュースポーツクラブ】

立川堂さんと運命の出会いをして一年が過ぎた。日本選手権以降、明らかにチーム全体の意識が変わり、瀬上は着実に強くなった。

 

主だったメンバーはみんな高校三年生。次年度以降はみんな進学や就職でそれぞれの道に進む。県外に行く奴も居たし、当時のチームで参加できる最後の大会。


完全にスッキリという訳にはいかず、紆余曲折はあったものの、分裂したチームも一本化した。「キャプテン竜」誕生って確かこの時からだったハズw

そして俺たちは考えうる限りの「最強の瀬上」を結成して日本選手権に臨んだんだ。

 

【快進撃、そして】

当時の瀬上には全盛期ジャイモンという最強のアタッカーが居たんだよね。

現在主流の台湾ネットに比べて、反発力の弱い普通のネットで守備を吹き飛ばす威力のシュートを撃ってたのはホントやばいと思ったw

前もどこかで書いたけど、ディフェンスに跳ね返ったボールが観客席まで吹き飛ぶとかどんだけの威力なんだよ、と。ディフェンス側も見て捕るっていうよりは体のどっかに当てて全員でフォロー!みたいになってて笑ったわ。

 

今と比べ物にならないぐらいスマートなY田と俺とかも居ましたw

 

この時の瀬上は超攻撃的なチームで、もうリスタートから何からとにかく早い、強い。相手を力で粉砕してやるって意識を全員持ってた若さ溢れるチームだった。

今の俺たちと真逆だな・・・w

 

 

まぁとにかく、成長して勢いに乗ってた瀬上はとにかく強かった。

そして何より、このチームで試合するのが最高に楽しかった。

 

昨年完敗したGUMPOLさんにも雪辱を果たし、ついに準決勝へ進む。

 

 

【立ちはだかるのは・・・】

準決勝の相手は豊山Bさん。(以降敬称略)

本当の意味での豊山との因縁はここから始まったのかもしれない。

 

豊山は当時、AとBの2チームで出てたんだよね。

選手層も厚いから戦力の分散とかも無く、ここ何年かの決勝は豊山VS豊山が当たり前の光景になってた。それぐらい豊山は別次元で強かったんだ。

 

後から聞いた話だったんだけど、そんな光景にも飽きてた豊山側のサポーターからも、「たまには違う決勝戦が見たい!」って理由で瀬上は期待されてたらしいw

 

 

【生涯最高の試合】

瀬上VS豊山

二年前、何も出来ずに負けたあの時とは違うんだとばかりに、日本最強のチームと堂々と、互角の戦いを繰り広げる瀬上。

追いつき追い越し、追い越され、双方譲らず試合はなんと延長戦に突入。

 

疲労もピークで、右足も左足もつったけど、気持ちは全然折れなかった。

他のチームメイトも足つったりとか満身創痍で、これ勝って決勝に行っても「山王戦で全てを出し切って愛知に負ける湘北」みたいになることは分かり切ってたけど、誰一人弱音を吐かず、手は抜かず、キツいけど最高に楽しいゲームを満喫してた。

そして決着・・・は、つかなかった。

同点でホイッスルが鳴り、前代未聞の再延長戦へ突入。

 

もうここまで来ると両チームとも意地の張り合い。後の事なんて考えずに絶対勝つっていう気持ちを試合に出てた14人は共有してたと思う。

 

そしてついに決着の時。僅かに力及ばず、結果は負け。

でも、悔しさなんて吹き飛ぶぐらい、満足感と達成感に満たされてた。

観客席も、間違いなく決勝より盛り上がってた。

日本選手権史上でも、最高の試合だったんじゃないかな。(言い過ぎ

 

ずっと試合してたいとすら思えるぐらい最高に楽しかった。

印象に残っている試合を聞かれたら、俺は間違いなくこう答える。

「初めて日本一になった試合よりも、日の丸を背負って世界レベルの相手と戦った試合よりも、自分の中でのベストバウトは”準決勝で負けた高校生最後の試合”だ」と。

 

 

過去編 完