高校1~2年の頃の話。
【メンバーの増加と・・・】
元々以上にチュックボールをメインでやるようになり、メンバーの入れ替わりも経て、自然と大多数が同じ中学の友人達になってきた瀬上ニュースポーツクラブ。
そんな厨房共も卒業し高校生になり、今度は高校がバラけた連中がそれぞれの高校で新しいメンバーを連れてくるという好循環となりました。
またその当時はF井以外の先輩もいたり、今は居ないメンバーも結構居たりした。
最強のY氏(よも)とか最近の成長株Y氏(よしー)とかもこの辺の時期の加入。
我等がうさぎ監督と出会ったのも高校生の時だった。
で、人数が増えればチームをまとめるのも難しくなり、先輩と上手くいかない奴も出てきたりして、表立った対立とか喧嘩はなかったものの、チームが2分割したんだよね。まぁ今となってみると、それもある意味いいスパイスになって、チーム力向上に繋がったんだとは思うけどw
負けたくない気持ちって上達には必要不可欠だと思うの。
【その頃の練習】
ぶっちゃけ今とあんまり変わってなかったかも。というかあんまり覚えてないw
監督の方針で「習うより慣れろ」って感じで、基本練習はほぼ無くて、ひたすら試合ばっかやってた印象しか残ってないw
人数も多かったし、毎回フルコートで試合してた。
(というかその頃はハーフコートでやるっていう発想自体なかった)
若さもあってとにかく攻め気の強い連中ばっかで、パス回しもそんなにしてなかったはず。みんなボールを持ったら全力でネットに叩き付けろみたいな感じだったw
やり方知らないからシュートコースの打ち分けもほとんどできなかったし、守備も出来るヤツが勝手に捕るみたいなお任せシステム☆
ちなみに高校生までは俺も守備やってました。むしろこの頃はメインでやってたw
S野とコンビ組んでて、俺が守ってS野が点を取るってのが瀬上の王道だったんだぞ。今では到底信じられないような本当の話。チュックがめっちゃ楽しくて、毎週の練習日がいつも楽しみだったことを今でも鮮明に覚えてる。
【普及活動への参加】
監督の意向で、結構各地の講習会とかにも指導する側で参加した。
昔は車酔いするヤツ結構いたんだよなぁ・・・自分で免許取って運転するようになったら改善したヤツがほとんどだけどw
その頃は自分もチュックボールについて真の理解をしてたとは言い難く、過去に戻れるなら全部やり直したい衝動に駆られけど、いい経験にはなったと思う。
【大会への参加】
その頃はジャパンカップは無くて、立川大会もまだ開催してなかった。
豊山の大会はあったけど、まだ存在を知らなかったし、何より参加できるレベルでもなかったと思うw
当時の豊山大会なんて、下手したら日本選手権よりレベルが高いって言われてたしね。今のチームで、参加してみたかったなぁ・・・。
まぁそんなわけで、その頃は年に一度の日本選手権のみを目標にして頑張ってましたw
【その他】
その頃はなんと週二回練習があった。今考えると神環境だったよなぁ
毎週月曜日は中学校の体育館、金曜日は小学校の体育館
若手三人衆の内、O竹とK津はこの頃からたまにやってたんだよね。
勿論、今も楽しんでやってるんだけど、大人になって、チーム内の事は元より、運営や普及等、考えなきゃいけない事も増えてきたし、楽しむより楽しませるってことに重点を置かなきゃいけない立場にもなり、純粋にチュックボールを楽しむってことにおいてはこれから先もこの時代を越えることはないんだろうなと思う。
もう戻れないと思うと生きてるのが辛くなるな・・・(・_・;)