誤字じゃないよ。
本家のことわざには「されど空の深さを知る」という続きが作られたとか。
さて、過去編の2回目です。
当時は高校生で青春真っ只中ということもあり、一番楽しかった頃の話。
【初めての公式大会】
チームが最初の大きな転機を迎えたのは、忘れもしない高1の冬。
日本選手権に初参加した時だった。
マイナースポーツの悲しさで、試合をする機会に飢えてた俺たちは、めちゃめちゃ楽しみにして臨んだんだよね。大会の組み合わせ表を見た時に、参加チーム数の多さに感動したのを覚えてる。
緊張してたかっていうとそんなことは無くて、逆に優勝してやるってぐらいのモチベーションだった。他のチームと公式の試合をする事自体初めてなのに、根拠のない自信っがあってさ。
で、記念すべき初試合。最初はちょっと動きが堅かったけど、徐々に試合の雰囲気にも慣れ、終わってみれば余裕の勝利☆
これ、優勝いけんじゃね?と勢いに乗って挑んだ二回戦で、とてつもなく大きな壁にぶぶつかることになる・・・
その二回戦の相手というのが、そう、豊山だったんだ。
当時の豊山は最盛期。もうホント強くて終始圧倒されて、何も出来ないまま負けたんだよね。とある人が豊山のスカイプレーを「背中に羽根が生えてるように飛んでる」って表現してたけど、まさにその通り。次元が違った。
チュックボールってこんな上手く出来るんだっていう感動とか、悔しさとか、とにかく大きな衝撃を受けたんだよね。
それからかな、チュックボールに本気になっていったのは。
【チームとしての成長 -立川堂との出会い-】
日本選手権の後からチーム全体のモチベーションが上がって、今まで以上に熱を上げて練習するようになったんだけど、今までの遊びみたいなものから部活のようにガチで
やるには、メンバー間の温度差っていうかギャップがあって大変だったし、元々個性的な連中も多かったから、衝突して、チームが二つに割れて、高2で出た二回目の日本選手権は2チームに分けて出場したんだよね。
・・・結果はどっちも散々だった。
俺のチームは、一回戦でGUMPOLさんに負け。
当時のGUMPOLさんは本当に強くて、間違いなく優勝候補の一つ。いつも豊山と優勝をかけて決勝でぶつかってた印象。
全体的に上手いんだけど、特に守備が堅いチームだった。オフェンスなら豊山、ディフェンスならGUMPOLって感じで、豊山との対戦を見てても、強力な攻撃を何度も凌いでいて、ホント凄かった。
その対戦の時は、新興チームの俺たちはかなり侮られていたんだよね。それで実際負けたから凄い悔しかったし、今でもちょっと根に持ってる(笑
1回戦負けだった俺たちは、3位決定リーグに移って試合をしたんだけど、そこで立川堂さんと出会えたのが2番目の大きな転機だったと思う。
試合の方は善戦したけど、負け。でも、負けて悔しかったってより、試合がとにかく楽しかった。
さらに試合後、立川堂さんは、みんな気さくで面白い方々で、何も知らない俺たちに色々教えてくれたんだ。
練習方法とか、技術的なこととか、考え方とか、今まで自己流でやってきた俺達には何もかもが新鮮だったし、とても勉強になった。
何より、「楽しみ方」を学べたのが本当に大きい。立川堂さんとの出会いは確実に瀬上を強くしてくれた。特にトモさんには、本当に色々お世話になりました。
そのあと、ホームページとか掲示板も教えて貰って、ここから少しずつ他チームとの交流が出来るようになってきたんだよね。
そして一年後、瀬上の逆襲が始まる・・・
次回!「忘れられないベストバウト」へ続く!
(2018.4.24 am10:35 一部加筆修正しました。)